つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。」(吉田兼好『徒然草
』序文)

 はじめての方ははじめまして。こんにちは、ヒモのです。
「お前の名前、葉月とーふだったり他のだったりよくわかんねぇよ」と主張したくなるTwitterから私を知る方もいらっしゃると思うので、名前について一言申し開きをしておこうと思う。
はっきり言って、私はインターネット上で呼ばれる名前などにさほど興味はない。とりあえず、「私のことを言っているのだな」ということがわかりさえすればよく、便宜的につけているものだ。
だから、都合次第で変えてしまうことが多い。勿論、呼ばれることを想定してつけている名前であるから、なるべく変えないよう努めている、そこは安心してほしい。要するに、呼びやすい呼び方で良いということが言いたい。


 さて、私の名前なぞについていきなり言及してしまって辟易し、早速タブを閉じる方もいるだろう。大いに結構、むしろタブを閉じたあなたにとっては、貴重な時間を無駄にしない最良の選択かもしれん。
 なぜなら、当ブログの内容など大したことがなく、下らないことの連続になる予定だからである。そのような方向性を定め、尚且つ、この記事に目を通す人にその旨を伝えるためにも、冒頭に吉田兼好『徒然草』の序文を引用した。有名な序文なので知っている方がほとんどだと思われるが、念のため私の解釈も交えた口語訳も掲載しておく。


口語訳:「あまりに退屈なので、朝から晩まで硯に向かって私の脳裏をかすめたどうということもないような些末なことを、とりとめもなく書き留めてみると、なんともぎこちのないものになってしまった。」

多少、雑に訳したところもあるが、概ね間違ってはいないとは思う。もし、ちゃんとしたものを確認したい方は、いろんなレーベルからたくさん書籍が出回っているのでブックオフの中古コーナーでも漁ってみることをおすすめしよう。
 たかだか、これだけのことを説明するのにこれだけ回りくどい表現を要してしまう私であり、しかも、「このブログ下らないから読まなくていいよ!」と予防線まで張ろうとしている。もう、この時点で相当この記事にもブログ自体にも役割が見いだせなくなりそうである。
 しかし、実はこれにもふわっとした理由があったりする。このことは当ブログの開設目的とも関係してくるところがあるのだが、長々と語るようなことでもないので、箇条書きでさっくりいこう。

①なんで今更こんなもの作ったの?
A.私はこれまで論文や作文以外で何かを書き綴ったりしたことがなかった。所謂長文が苦手な現代っ子である。そんな状況を脱却し、思考と嗜好を整理していくためにも、やはり何かを記述する、しかも、読み手を想定した書き方のトレーニングをするべきだと思ったからである。(今の時点では読者と楽しませるような書き方が微塵もできていないと自負している。今後に期待)
 また、私はこれまで自分のことをあまり話したことがないなと思い、ちょっとばかりそれらを書き残し、文章として固定化してみようという新たな挑戦という側面もある。

②具体的にどんなことを書いていく予定なのか?
A.当ブログの冒頭にあるようなことに私という色をちょいとつけただけのものがほとんどとなるだろう。
ただ、強いて言うならば、Twitterなどでは普段しない、もうちょっと踏み込んだ私個人のことを書ければと思っている。(ex.お酒関係,書評,オタク話のちょっとアレなやつ etc.)

③いつ更新される?頻度は?
A.書きたいことを書きたい分だけ。適量に。無いならこの記事以降書かないかもしれません。不定期。みんなも自分も忘れたくらいに書くことになりそう。

 以上。今のところこれくらいのなんでもないものとなる方針である。
他にも実は私は過去に絵を描いていて、某Pからはじまるお絵かきサイトのアカウントなんかも持っているのだが、あれは凍結してこっちの方で細々とまた落描いたものを保管したりしても良いかもしれない。

 最後になるが、メッセージ欄にある拙い文章は私がこのブログ開設にあたり、「自らを晒すという恥をかくための覚悟」をするために載せたものである。それがどうか、拙いながらもこのブログにささやかな彩りを添えるものになっていることを願う。

では、また。